万里さんの学習ノート

1.インド伝承医学 内科学古典『チャラカ本集』を読む
<< July 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
テスト

テストてすと

アーユルヴェーダの資料は
ここをクリックしてください。

テストテスト

- | 17:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
インド伝承医学・アーユルヴェーダ『チャラカ本集』って何?
 2011年5月にせせらぎ出版から発行された『チャラカ本集』を購入された方にはすでにカタログで届いている「いま 『チャラカ本集』がおもしろい―治療医学から健康医学へ」を再録します。
「『チャラカ本集』のかじり方」と前後しますが、あしからず。

       初出: 日本アーユルヴェーダ学会発行「アーユルヴェーダ通信」(タブロイド版)
                                      第21号 2011年2月5日

いま『チャラカ本集』がおもしろい!        

治療医学から健康医学へ          山崎 万里(母性史研究者)

 

 昨秋、伯母を96歳で亡くした。その数日前に医師から「心臓停止後3分以内に人工呼吸器を装着すること」について問われた。装着した場合、自発呼吸が起こらなかったらはずせないことを後で知った。「なぜ医師はこの事を告げなかったのか」疑問だ。

 人工呼吸器、胃ろうを装着して生かされ続けている人が何万人といる。多くは患者が意志表明できない中で、装着の是非をめぐって「食とは?いのちとは?幸福とは?」を立場の異なる人たち(医師、看護者、家族)が話しあわなければならない。また、世界保健機関の報告では、この半世紀に先進国では精神病床の数が減っているのに、唯一日本は増えつづけている。21世紀日本の人間の肉体と精神をめぐる現実の一面である。

健康な日常と季節のすごし方とともに、「そもそも人間とは?」「そもそも生命とは?」

を考えることが求められています。

(1)食とからだの最古の学術書

『チャラカ本集・総論篇』には、アーユルヴェーダ(アーユス・生命、ヴェーダ・知識)は、創造主ブラフマー神が説いた「健康人にも病人にも最上の道である病因論と症候論と治療論を備えた学問である」、また、「『チャラカ本集・総論篇』はアグニヴァーシャが著し、チャラカが改訂した」と書かれている。全篇を通して、アグニヴァーシャが報告し、多くの聖仙、医師、王たちが議論し、尊者アートレーヤが結論を述べる形をとっている。

(以下、同封の『チャラカ本集』カタログの目次参照)

 カタログの目次の7.「飲食物に関する四章群」の第25章「人間と疾患の起源」では激論が行われている。「有益な食物と有害な食物の定義」について、アグニヴァーシャが「量、時節、調理法、土地、体質、病状、体調の違いで、有益な食物と有害な食物が正反対の効果をもたらすのを経験するが」と質問した。アートレーヤの結論は「身体要素(ダートゥ)の均衡が崩れたときは平衡状態にもどすような食物が有益な食物である。その反対のものが有害な食物である。」(「適合状態であれば健康な人を形成する要素と同じ要素が不適合状態になれば、病気を起こすのである」)。これにアグニヴァーシャが「そのような説明では、大多数の医者は理解できません」と応じる。そこで、有益、有害な食品、健全な食事、不健全な食事の判断について具体例をあげて説明していくことになり、それが第26章〜第28章である。

また第12章「ヴァータの長所と短所」では、討論に対してアートレーヤは「皆が言ったことは、包括的な説明はしていないという点を除けば、すべて正しい。」とまとめている。

アーユルヴェーダの人体観、疾病観を知れば、この「まとめ」の正しさが分かります。

(2)timeは人体の構成要素

第1章「長寿を…」の「生命とアーユルヴェーダ」では生命を「身体、感覚器官、精神、我(アートマン、self)の結合したもの」と定義し、「世界を構成する6つの原理」では、「空、風,火、水、地、我、精神、時間time、方角が物質を構成する」と定義している。つまり、人体の異常である病気を診断し、治療法を判断する要素に「時間」が入っていることに留意すれば、アートレーヤの言う「その場合、場合によって『正しい』に違いがあって当然」と言うことになります。

ついでに、今回の日本語訳では、timeを時間、時節、季節と区別して訳されている。これによってtimeは人体の構成要素であることが一層分かりやすくなっています。

 第1章の「病気と健康」、第11章「3つの探究」で、「3種類の病因」は「時time、理性、感覚対象の3種との、それぞれ過誤、過小、過度の3種の接触の仕方をすることである。」と書かれている。引用が続くが、5.「疾患に関する4章群」第20章「主要疾患の章」では「診断の重要性」の項で「疾患の鑑別法を知り、すべての治療法を熟知していて、場所placeと時節timeを正しく計ることに精通している医者は必ず成功する」とまで言っている。第6章「人が食べたもの…」の「季節timeとの順応」の項では一年は6季に区分され、「厳冬、春季、夏季の3季は火要素が優性な吸収期で、雨季、秋季、初冬の3季は冷性が優勢な放出期。人間の体力は放出期の初期と吸収期の終期に弱くなり、両期の中間期には中程度となり、放出期の終期と吸収期の初期には最高となる。」「季節の健康法」の項では各季ごとの健康法が述べられ、季節に順応することが説かれる。

 timeと人間を切り離さないことは分かるが、「過誤、過小、過度の接触の仕方」についてはどうだろうか。一例をあげると、最初に引用した第25章の「有益な食物と有害な食物の定義」の項で、激論の末に具体例「155項目の最重要事項」を列記している中に「眠気を起こすものに過剰睡眠」をあげている。

紀元前7世紀ごろ、釈迦の時代(紀元前4〜6世紀)より前に、インドの偉大な聖人たちが激論したこの難問については、現在では世界的な免疫学者・安保徹(新潟大学大学院教授)の著書『免疫革命』他が明解に応えています。                        

(3)排泄、浄化が治療の基本

アーユルヴェーダで一番感嘆するのは、人体をチクワのような一本の管と捉えていることです。第7章「生理的衝動を我慢してはいけない…」の章では「老廃物の通路は身体下部に肛門と尿道の2つ、頭部には7つ、全身には汗腺開口部が無数にある」「この通路は排泄物が悪化して生成量が増加すれば塞がれる」とし、老廃物の増減と治療法を。第8章の「健康と病気」では「病気とは7つの身体の構成要素(ダートゥ)の不均衡のことであり、健康とはこれらの要素が均衡していることを指す」と定義。7つの身体構成要素とは、3つの身体的ドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)、3つの精神的ドーシャ、老廃物(マラ)である。老廃物が構成要素? 老廃物とは?

第11章の「3種類の療法」の項では身体のドーシャが増悪した場合に施される薬剤による体内浄化法、マッサージや発汗法などによる体表浄化法、切開、縫合、腐食法(クシャラ・スートラ)、ヒルなどの外科療法があげられている。人体の健康を老廃物の増悪、増減からとらえ、排泄、浄化を治療の根本におく人体観は私の長年の排便教育の学びとも一致しています。 生体移植に見られるように、脳や心臓を人体の中枢とみるような人体観が優位である現代医学に、人体の中枢を内肺葉、腸とする(胎児の個体発生の順序からみても正しい)この見解は一石を投じることになるでしょう。

(4)病気治療もエステも食から

.「健康法に関する四章群」第5章「適量を食べる…」の章、「食事の適量とその尺度」

「適量の食事の効果」の項では「適量の食事をすると、人は正常な状態を乱すことなく確実に体力や色つや、幸福な人生を得ることになる」。6.「栄養管理に関する4章群」第21章「8種類の非難に値する者」では肥満とやせの定義、原因と症状、治療方針、予防について。第22章「身体減量法と身体増強法」では療法の定義、用いる薬剤、実施法について。第23章「過剰栄養」では栄養過剰と栄養不足による病気と治療法について書かれている。食べ方は生き方であり、育て方でもあります。

(5)アーユルヴェーダの目的は幸福な長寿

.「飲食物に関する4章群」第24章「適切に造られた血液」の「人に体力と色つやと幸福な長寿を与える」をはじめ、「健康は幸福であり、不健康は不幸である」、「トリ・ドーシャの正常が至高の幸福を人に与え、異常は人に大きな苦難を与える」と書かれている。アーユルヴェーダの病気治療は、人間の幸福の追及が目的だと言っているようです。

第11章「3つの探求」では「生命、富、来世の探究」をあげ、「生命を維持する資力なしに長生きすることほどみじめなことはない。資力を得る手段として職業につき、働くこと」をあげ、「この世で精神に安楽や苦痛をもたらすものは、3種類『(義務(徳)・利益(富)・願望(快楽))』の人生の目的以外にない」と断言している。つまり、人生の目的そのものが、この世の安楽と苦痛をもたらすのだといっていることになります。

(6)医療現場への課題提起

 3.「基本事項の訓示に関する四章群」の第9章「治療の四本柱の概略」では「治療の四本柱と健康、病気、治療の定義」の項で四本柱として医者、治療薬、看護人、患者をあげ、そのうち医者が最重要である理由をあげている。「意識障害」をドーシャの状態で説き、「油剤法や発汗法を施した後に5種の浄化療法(パンチャカルマ)を行う」のも興味深い。

 

このたび上製本としてあらためて出版される『チャラカ本集・総論篇』は、訳者がどんなに苦労されたかと同時に、どんなにかワクワクされたであろうと思える偉業です。

訳者に感謝しつつ、ワクワクの一端を伝えることができたでしょうか。浅学と独断と偏見をお許し下さい。

(文中の目次はカタログの表記を使ったので、現物の『チャラカ本集・総論篇』の翻訳表現とは多少異なるところもある)

 

- | 11:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
『チャラカ本集』のかじり方
 

〈 『チャラカ本集』のかじり方 〉

 

今回の日本語訳本では、英訳本などにはない目次をつけたこと、それも各章の中のすべてのタイトル、つまり本文以外の各種タイトルを書き出して頁数をあきらかにしたこと。

目次だけで29頁になっている。

 これは初心者にはありがたい。目次を読むだけでも全体像がつかめるし、関心のあるところから読み始めることが出来る。

 

 沖縄の華野さん(キッズ・ヨーガリーダー)から「チャラカ本集」の健康観を知りたいとリクエストがあったので、目次を頼りにして、関連箇所と頁数を書き出してみる。

 

第1章 病気と健康  p16

第8章 感覚機能序説の章 p154172

11章 7つの三つ組 p208214 or 222

29章 10の生気の座の章 p627

 

次からは、この箇所を読みすすみ、「チャラカ本集」の健康観を知ることが出来るのか、やってみることにする。

- | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
万里・幽霊と語る [ 学会のあゆみを振り返る ]
 

「しかし それだけではない。---幽霊と語る」

                     山崎万里(母性史研究者)

 

    (初出:アーユルヴェーダ通信『シャーンティ・マールガ』2010年第211

「日本アーユルヴェーダ学会の軌跡を振り返る・追悼 幡井勉先生と歩んだ40年史」)

 

 

〈 アーユルヴェーダと私 〉

1969年にアーユルヴェーダ研究会準備会が発足、1970年『アーユルヴェーダ研究・0号』発行。1971年にアーユルヴェーダ研究会発足、『アーユルヴェーダ研究・1号』発行。この頃は、会員名簿や会費徴収、会誌の校正などを丸山博がやっていました。見るに見かねて手伝い始め、1975年の第1回アーユルヴェーダ研究総会(大阪府河内長野市 観心寺、30名)、1977年の第2回アーユルヴェーダ研究総会(神戸市三田・関西地区大学セミナーハウス、117名)には母・丸山光代を子守に3人の乳幼児を連れての手伝いでした。

1977年から1985年・事務局東京移転までの間は、山内宥厳事務局長のもとで経理実務や毎月の研究会に参加していましたが、東京に事務局が移ってからは名ばかり会員で活動には全く参加していません。

2008年日本アーユルヴェーダ学会・第30回研究総会がテーマ「いのち アーユルヴエーダ 原点と展望」で、丸山博(19091996)の13回忌を記念すること、研究総会30回記念号として『アーユルヴェーダ研究・別冊』が刊行されるなどで、あらためて参加してみて、丸山博のアーユルヴェーダ研究にかけてきた思いやそこから受けたさまざまな影響について思い起こす機会を得ました。これを機に、大阪アーユルヴェーダ研究所の学習会で、短大や社会教育の場での私の健康教育実践についての話題提供の機会を得ました。概ね、私は、マクロビオティックの食生活法とアーユルヴェーダの日常と季節のすごし方、人体を一本の管ととらえ排泄作用を基本とする予防法などをあわせて健康教育実践をおこなっていることを再確認しています。

 

〈 アーユルヴェーダ研究・実践の広がりの中で 〉

2009年9月下旬に幡井勉先生(19182010)から1本の電話をもらいました。

「森永ヒ素ミルク事件についての勉強会をしようと思うので、『復刻版 14年目の訪問----森永ヒ素ミルク中毒追跡調査の記録』(1988年、森永ミルク中毒事後調査の会編、せせらぎ出版)を送って欲しい」とのことでした。すでに紙の本は絶版で、電子本があることを伝えました。また、2009年10月は「森永ヒ素ミルク中毒事件・14年目の訪問」の40周年でシンポジュームが大阪で開かれることを伝えると、「いやーそこまでは。こちらで20人ほどの小さな学習会を持つ予定です」と笑いながら言われました。

幡井先生がこの時期に、森永ヒ素ミルク事件から何を学びかえそうとされていたのかと、亡くなった後に思いめぐらせています。

 幡井先生は、1967年に民族医学研究所(代表・久保全雄)のメンバーとインド伝承医学研究会を設立し、1968年にインド伝承医学アーユルヴェーダ視察団としてインドの実情調査に踏み出した当初から、丸山博とともにありました。

1989年発行の幡井勉著『「インド伝承医学」で肥満・糖尿病が治る』(講談社)のあとがきに、幡井先生は「これまで、日本のアーユルヴェーダ研究は、哲学的傾向が強く、臨床的な、より具体的な活動が少なかったので、この方向での展開を急ぐ必要があると思います。そのため、アーユルヴェーダの病院とまではいかなくても、臨床クリニックの開設や研究所の設置を今後の目標としてやっていきたいと考えています」と書かれています。

幡井先生のギムネマ茶の製品化を初めとするアーユルヴェーダの生薬の紹介と実用化がすすみました。また大阪大学医学部アーユルヴェーダ・ゼミ(1969年)での『Hindu Medicine』の学習段階からともにあった難波恒雄先生(19312004?)は富山医科薬科大学でのクシャラ・スートラの研究、実用化をすすめました。

 そして、その方向が着実に現実のものとなったことは、200911月に日本アーユルヴェーダ学会理事長田澤賢治富山医科薬科大学名誉教授、東京研究総会会長上馬場和夫富山大学和漢医薬学総合研究所客員教授のもとに開かれた、第31回研究総会・テーマ「アーユルヴェーダの伝統と発展-----アーユルヴェーダによる異なるものの統合」の抄録集のプログラムにその広がりを確認できます。西洋医学一辺倒の日本医学界に代替医療、統合医療の展望を切り開いてきました。医学、医療の分野も産婦人科、小児科、皮膚科、歯科などへの広がりが見られます。さらに、ヨーガをはじめ看護、介護、エステでは、アーユルヴェーダ研究実践のすそ野を広げています。

幡井先生は、目標はどこまで果たされたと考えられていたのでしょうか。

 

〈 今、なぜ森永ヒ素ミルク事件なのか? 〉

 1955年夏、西日本で、森永MFドライミルクに乳質安定剤(酸敗防止)として添加された第二燐酸ソーダが粗悪品でヒ素が混入していたことによる乳幼児の中毒事件がおこり、当時の厚生省の発表では患者数12131名、死亡者131名であった。

摂取中止と治療により、急性症状が消退したことで、厚生省委託の(第三者機関)「5人委員会」は「異常なし」「後遺症なし」と判定し、この事件は落着解決したものと思われた。

ところが、13年後に大阪の養護学校で、立つことも座ることもできない13才の重度障害児が乳児期に森永のヒ素ミルクを飲んでいることに気づいた養護教諭が、当時の大阪大学医学部衛生学教授丸山博に相談。「森永ミルク中毒事後調査の会」に結集した養護教諭、保健婦、医学生が大阪府下の被害児の訪問調査を始めた。この68名の被害児の訪問調査の事例報告が「14年目の訪問」で、1969年、被害者に届けると同時に、大阪大学の臨床・社会医学討論会に提出、さらに、第27回日本公衆衛生学会(岡山)に報告された。

この14年間、一部の被害者は岡山県を中心に「森永ミルク中毒の子どもを守る会」に結集し励まし合ってきた。新聞報道、学会発表を機に、「守る会」の第一回全国総会を岡山で開催。被害児の追跡調査、後遺症の究明、完全治療、完全養護、そのための救援機関の設立、行政責任・企業責任の追及などをかかげてねばり強く闘うことを誓った。

乳幼児が被害者の世界で最大の砒素中毒事件、人道的医療機関による精密検査結果、森永製品の不売買運動の世論、「守る会」の親たちの子どもに毒を飲ませたという自責の念によって裁判闘争に発展し、「恒久救済」という世界でも前例のない勝利和解をみた。

1974年、「守る会」、厚生省(当時)、森永乳業の三者会談方式による生涯にわたる救援機関「ひかり協会」が発足。現在、「被害児」は5556才で、全国で健康に生きる活動を続けている。

○急性病の治療を中心に展開されてきた医学が、急性の症状がなくなった後に障害を残したり、発生したりすることに気づかされ、公害病と向き合うことで慢性病の管理や健康の維持向上に医学が取り組むべき課題を突きつけられた。

○医師の権威的な判断と行政処置後の医師や行政の姿勢は、親(看護者)からの訴えに耳を傾けないのと同様に、「事後調査の会」の訪問調査を保健婦、養護教諭が公務として取り組めず、私費で時間外におこなうことを余儀なくし、「14年目の訪問」の学会報告の際にも「臨床医がいない報告」という非難に表れた。

 おそらく、森永ヒ素ミルク事件の発生から現在なお続いている模索の中には、アーユルヴェーダが目指す医学の目標と医療、医療従事者のあり方を学び返す動機と、いのちの素である食べものが工業製品化する幕開けの時代から現在に至る日本の医学、医療の問題点とその背景にある産業、行政のあり方のほとんどが見えているのではないでしょうか。

 

〈 1969年という年 〉

 幡井先生が亡くなる直前まで、丸山博の著書を手元に置いて、丸山博と幡井先生の出合いからを自分の手で綴ろうとされていたようにも聞いています。

大阪大学医学部衛生学教授丸山博の1969年はアーユルヴェ−ダ研究会準備会が発足した年であり、日本公衆衛生学会で「14年目の訪問」を報告した年です。また、「有害食品研究会」を発足させ、第13回経済統計研究会総会、第37回日本統計学会大会を大学紛争のため欠席しています。

さかのぼれば、1968年にはマクロビオティック欧州視察旅行、幡井先生も同行したインド伝承医学研究視察団、1967年「大阪から公害をなくす会」発足。1961年「医学史研究会」発足、1960年「社会医学研究会」発足。

 下って、1971年には「日本有機農業研究会」発足。アーユルヴェーダ研究会からは戦前、戦中にすでに翻訳されていたアーユルヴェーダの外科学の原典である大地原誠玄完訳『スシュルタ本集』を刊行し、日本翻訳者協会出版文化賞を受けています。日本中で、医学医療のあり方を問い直す動きが大学紛争としてまき起こっていた時期です。

  アーユルヴェーダ研究会が取り組んだ、1975年の第1回アーユルヴェーダ国際ゼミナールへの丸山博団長、幡井勉副団長の視察団、そこへの参加者はその後の研究会を牽引していくことになりました。これがインド留学のきっかけになった大阪府立成人病センター勤務の保健婦、稲村ヒロエ(イナムラ・ヒロエ・シャルマ)さんが森永ミルク中毒事後調査の会の中心メンバーの一人であり、日本人のアーユルヴェーダ医師第1号であることを付記しておきます。

この頃のアーユルヴェーダ研究会の月例研究会ではインド哲学(山口恵照先生)、仏教哲学(中村元先生)アーユルヴェーダ入門(UK・クリシュナ先生、イナムラ・ヒロエ・シャルマ先生)などを学ぶ機会を得ました。むずかしかったがおもしろかったです。

こういう理論的な研究会ではあきたらない、もっとアーユルヴェーダの具体化、実践化をとの声が強まる中での事務局東京移転は時宜にかなったものであったと思い、ほっとしたのが実感でした。

大阪大学医学部衛生学の前任教授で丸山博の恩師である梶原三郎先生(18951986)についての次の一文を読むと、大学在任中の丸山博の、アーユルヴェーダ研究会をふくむ多岐にわたる研究会の設立、しかも、どれもが研究者と実践者の提携方式をとっていることの意味がわかります。

「梶原三郎先生は大阪における『労働安全衛生大学』10年の経験から、『生命科学センター』(仮称)を大阪に国立でつくるのが夢でした。「『生命科学センター』構想の基本原則はあらゆる分野の科学成果を総合すると同時に、科学の限界を知らせることです。

公害問題からはじまって、自然科学を経済学の中で見直す。人口問題から経済学を洗い直す。万葉時代から日本人の生命観を洗い直す。現実の個人の生命について自然科学、哲学、宗教を組み込んでの総合的探求をする。地球上の生命現象の源としての労働の位置付けを明らかにする。労働と生命をめぐって、このような広く深く厳しい追及をつづけることと、その追及を研究者と労働者・市民の集団的・実践的な作業にゆだねることこそ『生命科学センター』設立の目的であるわけです。老いたる衛生学者のいだくこの青年のごとき情熱には、周囲におる私たちはふるいたたされる思いです。何としてでも実現したいと思います。」「私の会った人-----命にいのちかけた人」(1978年朝日新聞)の中の「21世紀の適塾」と題しての小文です。(『丸山博著作集3 食生活の基本を問う』所収、農文協刊)

 

〈 しかし それだけではない 〉

‘起承転結’でいえば、アーユルヴェーダ研究会の初期(起)アーユルヴェーダの理論的研究の時期から、東京事務局の時期以降の(承)アーユルヴェーダの具体的実践化、普及の先頭に立ち続けてこられた幡井勉先生は、どのような(転)を展望されていたのでしょうか。

すでにお気づきの方もおられるでしょうが、本稿のタイトルの「しかし それだけではない。----幽霊と語る」は、ドキュメンタリー映画「しかし それだけではない。----加藤周一 幽霊と語る」の借用です。加藤周一氏(19192008)は内科学、血液学の医師で、東大病院で東京大空襲の負傷者治療にあたり、GHQのもと第1次調査医師団の一員として原爆投下直後の広島に入っています。その後、文学評論に転じ、知の巨人といわれ、2008年12月に亡くなりました。青年医師として戦争を体験した幡井勉先生と同時代人です。

この映画の製作者桜井 均氏(元NHKプロデューサー)は、ここでの幽霊はphantomghostではなく、精神spiritespritのことだと言っています。

加藤周一氏は映画の中で「すべての幽霊は歳をとらないわけですから、だから、意見も変わらないわけ。それで、意見の変わらない立場からね、つまり、やたらに変わらない立場から、変わっていく世界、世情を、その世の中の有様を眺めて、分析して、理解するということが重要だと思うんですね。そうでないと本当の批判にならないわけ。」と言っています。加藤周一氏が幽霊と語っているようであり、加藤周一氏の幽霊と映画を観る者が語ってもいます。

はたして、丸山博と幡井勉先生の幽霊は、日本におけるアーユルヴェーダの研究と実践の現状をどう見て、どういう展望を語っているのでしょうか。

「しかし それだけではない。」と言っているのは丸山博、幡井勉先生か、これを読まれた方か、または書いた私本人か、そのすべてであるかもしれません。

アーユルヴェーダ研究会の初期のことについての執筆の依頼を受け、到底果たし得ようがない課題を書くに当たって、丸山博と幡井勉先生の幽霊に語りかけ、教えを請うことにしました。あしからず、ご了承ください。

- | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
『チャラカ本集』を読むための予備知識として丸山博の小論をもう1つ

社会医学におけるアーユルヴェーダ研究の現代的意義


(第
30回社会医学研究会総会報告要旨・198966日作成))

丸 山  博(大阪経済法科大学)
 

                
1. インドの民族医学アーユルヴェーダと社会医学

 私は、ここ約20年間インドの民族医学アーユルヴェーダを研究してきた。しかし、この研究に対して社会医学研究者の側で必ずしも私の意図するところに十分な理解が得られているとは思われない。丸山のアーユルヴェーダ研究は年寄りの骨董遊びだという見方もあるようであるが、私は本来の衛生学の研究を離れて20年間この研究で遊んでいたわけではない。
 人間の健康を疾病そのものの問題として取り扱い、その背景にある人間の労働や生活と切り離して捉える近代医学が、いま限界につきあたっている。「途上国」の保健・医療の問題において、「先進国」から持ち込まれる近代的な医療システムが、治療に偏り、金がかかり、そこに住む多くの貧困な住民にとって、有効に機能しているとはいいがたい現状がある。そこでの病気の発生は、医療サービスの欠如から病気になるというより、食糧の不足や汚れた水、劣悪な住宅事情や不健康な生活環境、劣悪な労働条件などに根本的な問題があると思われる。いくら医者や薬や医療機器があっても、これらの問題を背景にもつ健康問題は解決しえないのである。住民の個々の病気だけを問題にするのではなく、地域住民の生活の全体を問題にしなければならない。いわゆる「先進国」においても、最近問題になっている健康破壊、ストレスの増大や慢性疲労等に関わる精神衛生上の問題、中高年の突然死などの背景には、その人間の労働や生活、居住環境などの要因が複雑に絡み合っている。高齢化時代を迎えて問題になる高齢者の健康維持についても、その人間の労働、生活、家族など生活を全体的に把握してかからねばならないことは明らかである。
 したがって、社会医学は、住民の健康の問題を考える際に、単に個々の人間の病気だけを捉えるのではなく、その人間の生活を全体的に捉え、労働の問題、食の問題、住宅の問題、環境の問題、さらに、地域性や生活習慣、文化等の問題も全体的に考えていかねばならないであろう。

インドのアーユルヴェーダという民族医学がまさにこのような視点で、人間の健康、病気の問題を捉えている。したがって、民族医学の範疇で行なわれているものが、今日において科学的な社会医学的視点において捉えなおされるべきである。その意味において、私は現在の社会医学の研究が、なぜこのような視点において研究をすすめてきた石原修先生、梶原三郎先生などの戦前の衛生学の研究に結び付いておらないのか、理解に苦しむところである。そこで、ここでの私の役目は社会医学の本流たるべきものを示すことにある。


2.
 インドの民族医学アーユルヴェーダとその各国への波及


 私は、最近北インドのヒマチャル・プラディシュのダラムサーラに旅行し、そして、仏教とともにインドの民族医学思想がチベット、中国を経て日本に伝わったルートを自らの目で確認してきた。人間にとって、個体を維持していくために、健康の維持はもっとも基本的な問題である。食糧への関心とともに、病気や死に対する不安は、人間の歴史がはじまって以来、今日までずっと引き続いてきている問題である。人間の歴史の始まりにおいては、呪術師や祈祷師がこれらの不安にこたえながら、部族民の信頼を得て、支配者となっていったのであった。さて、民族医学は、このような人間の個体維持のための要求にこたえるものとして古くから発達してきた。そして、われわれが住む東洋においてもっとも古くから発達してきたと考えられる民族医学が、インドのアーユルヴェーダであるのではないかとの結論をもつにいたった。

アーユルヴェーダは、それまでの原始宗教的、迷信的治療ではなく、その内容をみればわかるように、そこに今日の衛生学の芽生えをみることができるのである。アーユルヴェーダは、衣・食・住から労働、睡眠、休養、性生活、余暇など人間生活のすみずみにわたって健康に生きていくための方法や病気に対する予防、治療などを詳細にかつ体系的にまとめたインドの民族医学である。その意味において、これは科学としての民族医学の端緒であると考えられる。

さて、インドにおいてこの民族医学アーユルヴェーダは、人間の精神生活に浸透する仏教と結びつき一層体系的なものになっていく。仏教が人間の生存、生活の不安を正面から受け止め、住民の中に深く浸透していくために、仏教自体も人間の生活、健康管理の指針たる衛生学的な性格をもつことになる。これは、キリスト教においても、病気の治療が信者の信頼を得る重要な手段であったのと共通する。聖書において、数多くの病気治療の実例が、神の奇跡として記述されていることはご承知の通りである。仏教においては、仏陀が健康管理の生理学者であり、仏教哲学とも結びついたアーユルヴェーダは、仏教医学として体系化されていったと考えられる。

このようにしてアーユルヴェーダは仏教と結びつき、仏教の伝播とともに、隣国チベットに広まっていく。チベットでは、仏教は独自の宗教に変わっていくが、アーユルヴェーダは、宗教と密接に結びつき仏教医学、チベットの民族医学として定着していく。そこでは、チベット仏教の宗教僧が医者として民族の厚い信頼を得ているのである。

さらに、アーユルヴェーダは、モンゴルにも伝播していくが、そこでは牧畜文化と結びつき、遊牧民の中に深く浸透していく。遊牧民にとっては、健康管理、保健・衛生、医療の問題は自分たち人間だけの問題ではなく、彼らの生活の基盤である馬や羊などの動物の問題でもある。したがって、人間と動物の両方にとってどういう医学が必要かということが問題になるのであり、自分が患者であり、獣医であり、人間の医者であるような方向が必要となってくる。このように、モンゴルでのアーユルヴェーダの発展は、チベットと異なり民族医学が宗教と結びつかず牧畜文化と密接に結びついた医学として独自の方向性をもつことになる。なお、モンゴル医学はアーユルヴェーダ伝播の北限と考えられる。(南限・スリランカ→ビルマ→タイ→ベトナム→マレーシア→カンボジア→インドネシア)

 さらに、仏教が中国の漢民族に伝わっていく中で、そこにもアーユルヴェーダが及んでいき、中国の民族医学に影響を与えていく。中国においては、古くから独自の自然哲学・陰陽五行説と結びついた民族医学が発展していた。中国医学は紀元前から、西域や南方、北方の民族医学とも交流をもっていたが、仏教の伝来とともにインドとの文化、学術交流が盛んになり、仏教とともにインドの民族医学アーユルヴェーダが伝わり、中国医学に影響を与えていった。とくに、隋や唐の時代には中国医学は大きな発展をとげ、朝鮮へも広がっていったが、日本にもこの民族医学が伝わっていった。その際に、鑑真の功績は大きかったといえよう。

 このように、インドの民族医学アーユルヴェーダは、それぞれの国の生活や文化の中で変容し、またその地域の民族医学に影響を与えながら、各地に波及していったのである。


3.
 日本における衛生学の発展


 日本においてはこのような経緯で民族医学が発展することになったわけであるが、明治以降には近代的な衛生学の芽生えがみられるようになった。この点について、私は、近代の日本の衛生学の基礎づけを行なった人物が森鴎外であると考えている。(丸山著「森鴎外と衛生学」、勁草書房、
1984年参照)森鴎外は、軍隊という権力機構の中での限界はあったが、医学者として兵隊の健康、病気の問題をその生活全体の中で捉えようとした。

 さて、戦前の日本資本主義が発達してくる中で、一方で農民や労働者の生活には、さまざまな矛盾がしわ寄せされ、貧困化がすすんでくる。それは健康破壊の側面においては、伝染病を蔓延させ、とくにきわめて高率の乳児死亡や紡績女工を中心とする肺結核死亡の広がりにあらわれていった。劣悪な労働・生活条件や生活環境のしわ寄せは、まず抵抗力のもっとも弱い乳児に集中し、高率の乳児死亡をもたらすことになる。さらに、日本資本主義の発展をその基礎において担う紡績業で安価な労働力を求めて、農村の子女が非人間的な労働・生活条件、環境の中で酷使されていき、健康破壊を進行させていったのである。このような資本主義発展過程における労働者、およびその家族の深刻な健康破壊の実状は、イギリスにおいても、エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」の中で、克明に叙述されているところである。また、現在の日本では、長時間労働や変則労働、ME(マイクロ・エレクトロニクス)化の中での労働強化などに伴う慢性疲労の蓄積や突然死などの問題、公害・環境問題に伴う健康破壊の問題が生じている。それらの問題の本質は、疾病そのものをみるだけでは、解明されないのである。

 このような問題に対して、戦前の我が国において労働や生活と疾病との関係を捉えてきたのが石原修先生や梶原三郎先生であった。これらの戦前の研究を現代に生かすべきであると考えるが、いかがであろうか。


4.
 社会医学研究の課題


 かつて、医学は宗教と結びつき、それは権力者と結びついてきた歴史をもつ。医学が人間支配の道具として利用されてきたといえよう。現代では、医学は経済と結びつき、商品経済の中で医者もまた金銭を通じて、患者とつながっている。しかし、患者は商品ではなく、患者の方は、医者に対して自分の命をあずけ、人間的信頼をもたざるをえない。患者は、疾病をもった単なる個体ではなく、生きた人間であり、その人間の具体的な労働や生活があり、その疾病の背景には、生活条件、生活環境などにかかわる問題がある。したがって、人間の健康を考える際に疾病そのものを対象とするだけではなく、人間の生活全体を対象としなければならない。それが、本来の社会医学の責務であると考えるが、いかがであろうか。

 人間の労働、生活を総合的に捉えてきた民族医学の成果は、現代において人間の健康を科学的に捉える社会医学の中に取り入れられて発展していかねばならない。それは、社会医学に伝承医学への無批判な接近を要求するものではなく、近代医学の成果をふまえ、人間の健康を規定する労働、生活、地域性、環境などという問題に対する科学的な全体的把握、接近が必要だということである。衛生とは、「生命・生活・生産を衛(まも)る」という意味である。すなわち、生命…健康を衛り、生活…衣・食・住と労働を衛り、生産…資源とエネルギーを衛ることである。人間の健康問題の正しい把握は、衛生学的現状分析、批判を行ない、近代科学の成果を総合した学際的研究の中で可能となるのである。

 したがって、そのような意味において、社会医学は、人間生活や労働における生産、消費の物質的人間活動の法則性を捉える経済学(エコノミー)や、人間の生活環境を自然の法則性の中で総合的にとらえる生態学(エコロジー)、さらに人間自身の再生産、人口・労働力の構造と再生産を研究対象とする人口学(デモグラフィー)などと結びついていかねばならない。これが、今日の社会医学に求められる課題ではなかろうか。


*(第
30回社会医学研究会総会 1989722日 伊豆長岡ホテル富士見ハイツ)

       

 

 
- | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
アーユルヴェーダ『チャラカ本集』の勉強を始めましょう。

[はじめに]
『チャラカ本集』の学習の前に、日本でのアーユルヴェーダ研究の40年をふりかえる小文を3つ紹介します。
その第1編目は日本でアーユルヴェーダ研究会を設立した初代会長丸山博(亡父)の最初の呼びかけです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------

新しい医学・衛生学の開拓 
                   
                  

丸山 博
(初出:“いずみ”第17巻1号・
1969年)
(転載;『アーユルヴェーダ
研究』アーユルヴェーダ研究準備会研究誌・第0号・1970年)

 

 

アーユルヴェーダはサンスクリット語でLife Scienceの意味。インド伝承の医学で、その生成期は西暦紀元前数千年前で、アラビヤ医学やギリシャ医学よりはるかに古く、また中国医学よりも古く、おそらくは文献でわかる世界の医学の源流は、ここにあるのではないかと推測されます。

 それはインド文化のふるさとと共に考察するに値します。すでに仏教以前に大成されたアーユルヴェーダは、まさしくフィジカル(物質、肉体、医術的)な知識体系で、このアーユルヴェーダの治療体系をメタフィジカル(形而上学、抽象的)に体系づけたのが仏教の開祖ゴータマではなかったかと私は推定します。というのは仏教の解脱方法の考え方は、あまりにも原始医学的ではないかと平素考えていた私にとって、アーユルヴェーダの歴史と哲学思想を知るにいたって、そうだと考えざるをえなくなったのです。

 アーユルヴェーダは生命と健康の科学であると現在のインド医学者はいいますが、衛生学や公衆衛生の原理を食物におく点では実に素朴であり、簡明であり、実用的です。いわゆる近代西洋治療医学の主流はAllopathy(対症療法)だが、アーユルヴェーダはHomeopathy(同種療法)だと主張します。

 アーユルヴェーダの医学はヴァータ、ピッタ、カパの平衡関係の理解を第一義とし、すべての疾病の生成消滅をこの関係に求めます。このことはおぼろげにはわかってきましたが、現代科学的用語で記述できるまでには残念ながら至っていないのが私たちの現状です。いまウパニシャッド(哲学)を研究している文学部大学院生と医学部学生数人と私たちは19694月からゼミナールを阪大医学部でひらいています。いつまで続くか、どんな収穫が得られるのか楽しみです。1970年代への若き学徒の挑戦です。

 医学史上最古の文献との対決も近く予定されています。いままでは、その準備勉強中です。1969年の正月休みにガンジーの出身州であるグジャラート州のジャムナガールにあるアーユルヴェーダ大学をたずねた日本人はじめての視察団(私もその一人)には日印医学文化交流に新機軸をだすことが期待されます。私たちは日本の西欧医学偏重への反省をこめて、新しい医学、衛生学を世界的に開拓する一助にアーユルヴェーダの研究をしたいと考えながら勉強しています。

 

 

- | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
投稿テスト
 みなさん、こんばんは。
テストをしてみます。
万里
- | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.