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『チャラカ本集』を読むための予備知識として丸山博の小論をもう1つ

社会医学におけるアーユルヴェーダ研究の現代的意義


(第
30回社会医学研究会総会報告要旨・198966日作成))

丸 山  博(大阪経済法科大学)
 

                
1. インドの民族医学アーユルヴェーダと社会医学

 私は、ここ約20年間インドの民族医学アーユルヴェーダを研究してきた。しかし、この研究に対して社会医学研究者の側で必ずしも私の意図するところに十分な理解が得られているとは思われない。丸山のアーユルヴェーダ研究は年寄りの骨董遊びだという見方もあるようであるが、私は本来の衛生学の研究を離れて20年間この研究で遊んでいたわけではない。
 人間の健康を疾病そのものの問題として取り扱い、その背景にある人間の労働や生活と切り離して捉える近代医学が、いま限界につきあたっている。「途上国」の保健・医療の問題において、「先進国」から持ち込まれる近代的な医療システムが、治療に偏り、金がかかり、そこに住む多くの貧困な住民にとって、有効に機能しているとはいいがたい現状がある。そこでの病気の発生は、医療サービスの欠如から病気になるというより、食糧の不足や汚れた水、劣悪な住宅事情や不健康な生活環境、劣悪な労働条件などに根本的な問題があると思われる。いくら医者や薬や医療機器があっても、これらの問題を背景にもつ健康問題は解決しえないのである。住民の個々の病気だけを問題にするのではなく、地域住民の生活の全体を問題にしなければならない。いわゆる「先進国」においても、最近問題になっている健康破壊、ストレスの増大や慢性疲労等に関わる精神衛生上の問題、中高年の突然死などの背景には、その人間の労働や生活、居住環境などの要因が複雑に絡み合っている。高齢化時代を迎えて問題になる高齢者の健康維持についても、その人間の労働、生活、家族など生活を全体的に把握してかからねばならないことは明らかである。
 したがって、社会医学は、住民の健康の問題を考える際に、単に個々の人間の病気だけを捉えるのではなく、その人間の生活を全体的に捉え、労働の問題、食の問題、住宅の問題、環境の問題、さらに、地域性や生活習慣、文化等の問題も全体的に考えていかねばならないであろう。

インドのアーユルヴェーダという民族医学がまさにこのような視点で、人間の健康、病気の問題を捉えている。したがって、民族医学の範疇で行なわれているものが、今日において科学的な社会医学的視点において捉えなおされるべきである。その意味において、私は現在の社会医学の研究が、なぜこのような視点において研究をすすめてきた石原修先生、梶原三郎先生などの戦前の衛生学の研究に結び付いておらないのか、理解に苦しむところである。そこで、ここでの私の役目は社会医学の本流たるべきものを示すことにある。


2.
 インドの民族医学アーユルヴェーダとその各国への波及


 私は、最近北インドのヒマチャル・プラディシュのダラムサーラに旅行し、そして、仏教とともにインドの民族医学思想がチベット、中国を経て日本に伝わったルートを自らの目で確認してきた。人間にとって、個体を維持していくために、健康の維持はもっとも基本的な問題である。食糧への関心とともに、病気や死に対する不安は、人間の歴史がはじまって以来、今日までずっと引き続いてきている問題である。人間の歴史の始まりにおいては、呪術師や祈祷師がこれらの不安にこたえながら、部族民の信頼を得て、支配者となっていったのであった。さて、民族医学は、このような人間の個体維持のための要求にこたえるものとして古くから発達してきた。そして、われわれが住む東洋においてもっとも古くから発達してきたと考えられる民族医学が、インドのアーユルヴェーダであるのではないかとの結論をもつにいたった。

アーユルヴェーダは、それまでの原始宗教的、迷信的治療ではなく、その内容をみればわかるように、そこに今日の衛生学の芽生えをみることができるのである。アーユルヴェーダは、衣・食・住から労働、睡眠、休養、性生活、余暇など人間生活のすみずみにわたって健康に生きていくための方法や病気に対する予防、治療などを詳細にかつ体系的にまとめたインドの民族医学である。その意味において、これは科学としての民族医学の端緒であると考えられる。

さて、インドにおいてこの民族医学アーユルヴェーダは、人間の精神生活に浸透する仏教と結びつき一層体系的なものになっていく。仏教が人間の生存、生活の不安を正面から受け止め、住民の中に深く浸透していくために、仏教自体も人間の生活、健康管理の指針たる衛生学的な性格をもつことになる。これは、キリスト教においても、病気の治療が信者の信頼を得る重要な手段であったのと共通する。聖書において、数多くの病気治療の実例が、神の奇跡として記述されていることはご承知の通りである。仏教においては、仏陀が健康管理の生理学者であり、仏教哲学とも結びついたアーユルヴェーダは、仏教医学として体系化されていったと考えられる。

このようにしてアーユルヴェーダは仏教と結びつき、仏教の伝播とともに、隣国チベットに広まっていく。チベットでは、仏教は独自の宗教に変わっていくが、アーユルヴェーダは、宗教と密接に結びつき仏教医学、チベットの民族医学として定着していく。そこでは、チベット仏教の宗教僧が医者として民族の厚い信頼を得ているのである。

さらに、アーユルヴェーダは、モンゴルにも伝播していくが、そこでは牧畜文化と結びつき、遊牧民の中に深く浸透していく。遊牧民にとっては、健康管理、保健・衛生、医療の問題は自分たち人間だけの問題ではなく、彼らの生活の基盤である馬や羊などの動物の問題でもある。したがって、人間と動物の両方にとってどういう医学が必要かということが問題になるのであり、自分が患者であり、獣医であり、人間の医者であるような方向が必要となってくる。このように、モンゴルでのアーユルヴェーダの発展は、チベットと異なり民族医学が宗教と結びつかず牧畜文化と密接に結びついた医学として独自の方向性をもつことになる。なお、モンゴル医学はアーユルヴェーダ伝播の北限と考えられる。(南限・スリランカ→ビルマ→タイ→ベトナム→マレーシア→カンボジア→インドネシア)

 さらに、仏教が中国の漢民族に伝わっていく中で、そこにもアーユルヴェーダが及んでいき、中国の民族医学に影響を与えていく。中国においては、古くから独自の自然哲学・陰陽五行説と結びついた民族医学が発展していた。中国医学は紀元前から、西域や南方、北方の民族医学とも交流をもっていたが、仏教の伝来とともにインドとの文化、学術交流が盛んになり、仏教とともにインドの民族医学アーユルヴェーダが伝わり、中国医学に影響を与えていった。とくに、隋や唐の時代には中国医学は大きな発展をとげ、朝鮮へも広がっていったが、日本にもこの民族医学が伝わっていった。その際に、鑑真の功績は大きかったといえよう。

 このように、インドの民族医学アーユルヴェーダは、それぞれの国の生活や文化の中で変容し、またその地域の民族医学に影響を与えながら、各地に波及していったのである。


3.
 日本における衛生学の発展


 日本においてはこのような経緯で民族医学が発展することになったわけであるが、明治以降には近代的な衛生学の芽生えがみられるようになった。この点について、私は、近代の日本の衛生学の基礎づけを行なった人物が森鴎外であると考えている。(丸山著「森鴎外と衛生学」、勁草書房、
1984年参照)森鴎外は、軍隊という権力機構の中での限界はあったが、医学者として兵隊の健康、病気の問題をその生活全体の中で捉えようとした。

 さて、戦前の日本資本主義が発達してくる中で、一方で農民や労働者の生活には、さまざまな矛盾がしわ寄せされ、貧困化がすすんでくる。それは健康破壊の側面においては、伝染病を蔓延させ、とくにきわめて高率の乳児死亡や紡績女工を中心とする肺結核死亡の広がりにあらわれていった。劣悪な労働・生活条件や生活環境のしわ寄せは、まず抵抗力のもっとも弱い乳児に集中し、高率の乳児死亡をもたらすことになる。さらに、日本資本主義の発展をその基礎において担う紡績業で安価な労働力を求めて、農村の子女が非人間的な労働・生活条件、環境の中で酷使されていき、健康破壊を進行させていったのである。このような資本主義発展過程における労働者、およびその家族の深刻な健康破壊の実状は、イギリスにおいても、エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」の中で、克明に叙述されているところである。また、現在の日本では、長時間労働や変則労働、ME(マイクロ・エレクトロニクス)化の中での労働強化などに伴う慢性疲労の蓄積や突然死などの問題、公害・環境問題に伴う健康破壊の問題が生じている。それらの問題の本質は、疾病そのものをみるだけでは、解明されないのである。

 このような問題に対して、戦前の我が国において労働や生活と疾病との関係を捉えてきたのが石原修先生や梶原三郎先生であった。これらの戦前の研究を現代に生かすべきであると考えるが、いかがであろうか。


4.
 社会医学研究の課題


 かつて、医学は宗教と結びつき、それは権力者と結びついてきた歴史をもつ。医学が人間支配の道具として利用されてきたといえよう。現代では、医学は経済と結びつき、商品経済の中で医者もまた金銭を通じて、患者とつながっている。しかし、患者は商品ではなく、患者の方は、医者に対して自分の命をあずけ、人間的信頼をもたざるをえない。患者は、疾病をもった単なる個体ではなく、生きた人間であり、その人間の具体的な労働や生活があり、その疾病の背景には、生活条件、生活環境などにかかわる問題がある。したがって、人間の健康を考える際に疾病そのものを対象とするだけではなく、人間の生活全体を対象としなければならない。それが、本来の社会医学の責務であると考えるが、いかがであろうか。

 人間の労働、生活を総合的に捉えてきた民族医学の成果は、現代において人間の健康を科学的に捉える社会医学の中に取り入れられて発展していかねばならない。それは、社会医学に伝承医学への無批判な接近を要求するものではなく、近代医学の成果をふまえ、人間の健康を規定する労働、生活、地域性、環境などという問題に対する科学的な全体的把握、接近が必要だということである。衛生とは、「生命・生活・生産を衛(まも)る」という意味である。すなわち、生命…健康を衛り、生活…衣・食・住と労働を衛り、生産…資源とエネルギーを衛ることである。人間の健康問題の正しい把握は、衛生学的現状分析、批判を行ない、近代科学の成果を総合した学際的研究の中で可能となるのである。

 したがって、そのような意味において、社会医学は、人間生活や労働における生産、消費の物質的人間活動の法則性を捉える経済学(エコノミー)や、人間の生活環境を自然の法則性の中で総合的にとらえる生態学(エコロジー)、さらに人間自身の再生産、人口・労働力の構造と再生産を研究対象とする人口学(デモグラフィー)などと結びついていかねばならない。これが、今日の社会医学に求められる課題ではなかろうか。


*(第
30回社会医学研究会総会 1989722日 伊豆長岡ホテル富士見ハイツ)

       

 

 
アーユルヴェーダ『チャラカ本集』の勉強を始めましょう。

[はじめに]
『チャラカ本集』の学習の前に、日本でのアーユルヴェーダ研究の40年をふりかえる小文を3つ紹介します。
その第1編目は日本でアーユルヴェーダ研究会を設立した初代会長丸山博(亡父)の最初の呼びかけです。
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新しい医学・衛生学の開拓 
                   
                  

丸山 博
(初出:“いずみ”第17巻1号・
1969年)
(転載;『アーユルヴェーダ
研究』アーユルヴェーダ研究準備会研究誌・第0号・1970年)

 

 

アーユルヴェーダはサンスクリット語でLife Scienceの意味。インド伝承の医学で、その生成期は西暦紀元前数千年前で、アラビヤ医学やギリシャ医学よりはるかに古く、また中国医学よりも古く、おそらくは文献でわかる世界の医学の源流は、ここにあるのではないかと推測されます。

 それはインド文化のふるさとと共に考察するに値します。すでに仏教以前に大成されたアーユルヴェーダは、まさしくフィジカル(物質、肉体、医術的)な知識体系で、このアーユルヴェーダの治療体系をメタフィジカル(形而上学、抽象的)に体系づけたのが仏教の開祖ゴータマではなかったかと私は推定します。というのは仏教の解脱方法の考え方は、あまりにも原始医学的ではないかと平素考えていた私にとって、アーユルヴェーダの歴史と哲学思想を知るにいたって、そうだと考えざるをえなくなったのです。

 アーユルヴェーダは生命と健康の科学であると現在のインド医学者はいいますが、衛生学や公衆衛生の原理を食物におく点では実に素朴であり、簡明であり、実用的です。いわゆる近代西洋治療医学の主流はAllopathy(対症療法)だが、アーユルヴェーダはHomeopathy(同種療法)だと主張します。

 アーユルヴェーダの医学はヴァータ、ピッタ、カパの平衡関係の理解を第一義とし、すべての疾病の生成消滅をこの関係に求めます。このことはおぼろげにはわかってきましたが、現代科学的用語で記述できるまでには残念ながら至っていないのが私たちの現状です。いまウパニシャッド(哲学)を研究している文学部大学院生と医学部学生数人と私たちは19694月からゼミナールを阪大医学部でひらいています。いつまで続くか、どんな収穫が得られるのか楽しみです。1970年代への若き学徒の挑戦です。

 医学史上最古の文献との対決も近く予定されています。いままでは、その準備勉強中です。1969年の正月休みにガンジーの出身州であるグジャラート州のジャムナガールにあるアーユルヴェーダ大学をたずねた日本人はじめての視察団(私もその一人)には日印医学文化交流に新機軸をだすことが期待されます。私たちは日本の西欧医学偏重への反省をこめて、新しい医学、衛生学を世界的に開拓する一助にアーユルヴェーダの研究をしたいと考えながら勉強しています。

 

 

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